ダニエル・ギレンは天使なんかじゃない(2/25追記)
2/26追記
全部違ったわ
(リンク先ツリーに詳細もあります)
ので以下12000字は全て妄言です。新里さんありがとう。
ダニエルギレンとトーマスマロイ、めっちゃいい名前よな ギレンって狡そうで硬い音やマロイなんて甘やかでやわらかい響きがあの男たちについてるのが非常に好きです
余談です
前提として、この記事は筆者の舞台アカウント(@yaggi1640)が未だ凍結中ゆえの避難所的な記事であることをお伝えしておく。さっさと返してくれ
筆者はザ・ビューティフル・ゲーム東京公演は1月11日、12日を観劇し、飛んで今大阪公演に通おうとしているダニエル役の新里さんのファンであることも加えておこう。
私が見ないうちにえらくダニエルギレンという人物の形が変わっていたようだ。私が読み取れなかっただけかもしれないけれど。
大阪数公演観劇してこれからまた何度か見るチャンスがある今のうちに色々と思考をまとめておこうという主旨だ。
主にダニエル・ギレンの過去、劇中の罪、そしてTBG2023という舞台における「愛」という存在について。トーマスマロイのオタクでもあるのでそちらも少し。の予定。
いかんせん走り書きなので、まとまりはないかもしれない。また修正しま〜す
なおこのタイトルは観劇前にかわいいしエルってついてるし天使じゃ〜ん🎶とかほざいてたらめちゃくちゃでかい声で「ダニエルは天使じゃない」って言われたのがオモロかったすぎて多分死ぬまで忘れないセリフです ジョンケリーお前の目は節穴かちゃんと見ろ
ダニエル・ギレンという人物/東京編
劇中で語られるダニエルギレンといえば、「コソ泥」「ヤクの売人」。公民権運動には賛成しない(働きたくないから)、おそらく学力は高くない。しかし素人なりにスイーパーというポジションについて調べてみるとよく分からんが多分視野の広い賢い人がやった方が良さそうな役割っぽかったので、地頭は悪くないのではないかと思っている。ていうかその方が好き〜好きなものだけ頭回るタイプね〜
東京公演の私が見たダニエルギレンは、そういった立ち位置も含めてただ自由と友人を愛した少年だった。
ここにおける「自由」は例えばメアリー・マクガイアが非暴力を掲げて求めたような、あるいはトーマス・マロイが銃を手に食い繋ごうとしたようなものではない。もっとささやかな、ダニエル自身が生きていく時に「楽しい」ものだ。友達と酒を飲んだら気持ち良くなる、サッカーは楽しい、そんな程度のものだった。
ダニエルは良くも悪くも宗教に固執しない。自分はカトリックというコミュニティに生まれた人間、という肩書きが一つあるだけで、それを理由にプロテスタントを攻撃する意図は見えない。むしろ興味がなさそうだ。
宗教・政治に深い関心がないと言えば18歳のジョンもそうなので、現代の若い世代にとっての政治観と似たものなのだろうかと捉えているが、ダニエルは宗教よりも暴力に反応する。
オレンジオーダーのドラムに真っ先に逃げ出し、トーマスがデルにつっかかれば少し気まずそうな顔をする。ダニエルは暴力に関わりたがらない。宗教観の相違よりも不穏な空気感への抵抗を感じた。
そもそも舞台自体が不穏な世界だけれどもの中でも自分の目の前のこと、身の回りのひとたちが不穏な空気にならなければそれで良さそうという印象を受けた。
そんな暴力を視界から遠ざけていた少年が、友人が殺されたことで初めて正面から暴力とこの街について考える。考えさせられる。
ダニエルにとってジンジャーの死は自分を家まで送り届けたがためにもたらされたものだ。自責の念から償える手段を探し、そこで誰よりも真っ先に、誰よりも力強く手を差し伸べたのがトーマス・マロイだった。
トーマスはこの報復に友人たちがついてくると心から信じていたのできっと手を差し伸べたつもりなんてないのだろうけれど、暴力から逃げながら「何かしなくちゃいけない」の「何か」を探していたダニエルに明確に暴力を、単純な解決法をつきつけたのは確かに彼だった。
そこでつられるように立ち上がってしまったこと、そして結果的に暴力から遠ざかったことはすべてダニエルの強さであり、弱さでもある。
ここで浮上する疑問は「なぜ二人はジンジャーの葬式に遅れて来たのか」「なぜ二人は結婚式に来なかったのか」「いつまで二人は一緒に行動していたのか」「ダニエルはなぜ普通に戻ってきているのか」など、などなどなど、数えきれないほどあるのだが 余白が多すぎる できれば一つ一つ考えていきたい。
トーマスの暴力とダニエルの暴力には大きな相違があった。トーマスは元よりカトリック過激派で、プロテスタントという属性そのものへの憎しみがあった。「誰でもいい」という台詞もあったが、トーマスは本当に誰でも良かった。ただカトリックの少年を殺したプロテスタントへ報復をしたかった。
対してダニエルが償うべきと考えたのはジンジャーであり、つまりジンジャーを殺した人間に用があった。それがプロテスタントだっただけだ。点の憎しみは長くは続かない。ダニエルが本来の報復を達成できたかどうかは別として、彼がそのままトーマスとともに憎しみから暴力を振るうことは不可能に近かったのではないだろうか。
自分はやはり暴力には向いていない、そう目が覚めたのがいつなのか、そしてそれがトーマスから離れたタイミングであると思うが、それがなかなか掴めなかった。
というか認めたくなかった。2年間も行動を共にしておいてトーマスから離れるなんて、ダニエルのことが許せなくなりそうだった。とーますまろいのオタクなので…
というわけでさっさと足を洗っていた気で個人的にはいたし、ダニエルはジョンが初夜にトーマスを手助けしたことも知らなければトーマスの身辺整理(※)に巻き込まれて脚を失ったという解釈だった。
サッカーも盗みもヤクの売人も、ダニエルが劇中でしていたことは全て脚がなければできないことばかりだ。友人だった男に濡れ衣を着せられ脚を失った彼はこれからどうやって生きていくのだろうか。少なくとも軽い気持ちでいいことあるといいね、なんて言う気にはなれない。
一つ考えているのは、ダニエルにとってトーマスに一度ついて行ったことは決して無駄なことではなく、そこで自分と暴力は相容れないと判断できたことはダニエルの指針の一つになったのではないだろうかということ。きっとあの過程がなければダニエルはその後笑顔でジョンの前に現れるなんてことはできなかったのではないだろうかと思う。
20歳のダニエルは変わらない笑顔と調子の良さでジョンの前に現れる。あの憎めない笑顔でしれっと友人のおこぼれに預かろうとする。満身創痍のメアリーの元に来て息子に対していらんことを言う。このいらんこと言う感じがきっとメアリーたちが一番色濃く過ごした時間にいたダニエルギレンなのだ。「変わらない」奴がいるのは彼女にひとつ安心を与えることになったのではないかと思う。ダニエルもそれを分かっていてメアリーを支えに来てくれたのではないだろうか。
だからこそ一度引き上げてくれたトーマスに最後に突き落とされるのは本当になんというか……マロイなんで………………………
総合して、ダニエル・ギレンは友人と自分の世界を守ることに一生懸命だった少年だった。あの狂った街で全てが変貌してしまってからも唯一「変わらないでいてくれた」奴だった。一度道を違えたとしても結果的に暴力に染まらず、ジョンやメアリーを支えることを選んだダニエルはかっこいいのだ。ここまでが東京公演観劇の解釈。
※トーマスの身辺整理…トーマスがなぜわざわざダニエルに罪を被せたか考えていたのだけれど、今のところトーマス自身の逃げ道を潰していくためかなという結論になっている。IRAに入り暴力に染まったトーマスは破滅の道しか見えていない。死ぬのが怖いと感じてしまうことも、過去の自分を取り巻いた友人たちに光や助けを求めてしまうこともトーマスは不要だと考えなければいけなかった。ジョンと一度意見を違えたことでその意識が強まったのかもしれない。だからジョンを密告し、一度自分についてきたダニエルを処刑し、メアリーに他人であることを突きつけたのではないかと考えている。
でもあんた死ぬの怖かったじゃん……ジョンに終わらせて欲しかったよね………でもそこで殺せないからこそトーマスが愛したジョンだったよね…………ジョンケリーを許すな
ちなみに私はこの舞台のタイトル回収はトーマスが「汚れた戦争」「奥深いゲームなんだ」という言葉を選んだ瞬間だと思います。彼はもうビューティフルゲームは出来なくなった。ザ・ビューティフル・ゲームってきっとトーマスのためのタイトルなんだ。
ダニエル・ギレンという人物/最終解釈編
で、ここからの観劇しない半月で、私はフォロワーを脅して観劇させ夜な夜なスペースを開きいろんな履修済みのオタクに話を聞かせてくれと懇願する哀れな妖怪になっていた。だって色々変わってるって言うから……
そこでフォロワーの解釈を聞かせてもらってなるほどと思ったのが、ダニエルの家庭環境についてだった。
ダニエルは家庭の描写が一切出てこない。高校生なのになぜ換金目的で盗みをしているのか。家庭環境が劣悪か、そもそも家族が既にいないかのどちらかではないだろうか。
捨てられたのか亡くなったかは別として、その瞬間私は泣きながら「なんでそんな酷いことが言えるんですか!?!?」とキレたのだが正直めちゃくちゃ腑に落ちたし解釈の基盤になるのでめちゃくちゃありがたかった。ありがとう賢いフォロワー
新解釈を得たことも含め、いざ大阪公演に入ると、あの、全然違った なにあれ 私知らん舞台ですあれ
まずダニエルの宗教・暴力に対する拒否感が強くなっているように感じた。
オドネル神父がデルをプロテスタントと言った時に少し嫌そうな顔をする。トーマスが突っかかった時も同様。ただ、プロテスタントへの拒絶というよりは、揉め事に対する嫌悪感だ。
トーマスがオドネル神父を拒絶した時もじっと見守った後諦めたように視線を逸らしていた。このあたりからダニエルは宗教に対して暴力を生み出すもの、友人をおかしくしてしまうものという感覚が強いのではないかと感じた。
そして一番驚いたのがジョンが逮捕されるシーンだった。ダニエルは「トーマスを幇助した疑いで逮捕」という言葉に驚き、ジョンが引きずられていくのを見つめて呼吸を乱していた。何かを思い出したようにも見えるし、自身が追い詰められた時のような動揺と恐怖があった。友人が逮捕された場面を見ただけでは済まないほどに尋常な様子ではなかったように見えた…
これだけでもダニエルの背景が一気に見えたのがほんとに 新里さんすご〜い!!新里さんのお芝居大好き!!
フォロワー解釈を踏まえて見ていくと、ダニエルは過去に家族をプロテスタントに殺されていて一人生き残ってしまったのかなと感じた。
だから暴力に強い拒絶があり、けれどメアリーのように立ち向かう気もなく、トーマスのように憎しみを抱くこともなく、考えない/逃げる道を選んだのかもしれない。
幼い子が家族もいなくて盗みで生計を立てなきゃいけないなら尚更行動を共にしてくれる友達は宝物だよなあ…。ダニエルだってきっと愛を求めていた。愛されることを求めていたはずだ。
そして「自分が生き残った」ことがダニエルの中で一つ大きな要素としてあるのではないかと思う。
ジョンが警察に連行される時の反応はジンジャーを思い出したか、もっと過去にそういった景色を見たことがあるのかもしれない。
元よりそうして暴力に対する抵抗が強いダニエルがトーマスについて行ったのはなおさら業が深く感じるし、その元となるのはダニエルの中の罪悪感だ。
ジンジャーの訃報を伝えにきたダニエルは始めは泣き崩れて不安そうな顔で神父様の話を聞く。しかしトーマスの「プロテスタントをぶちのめす」「誰だっていい」という言葉を聞いて表情が変わる。目の色が変わって、「俺たちは何かしなくちゃいけない」の「何か」をプロテスタントへの報復とする覚悟を決めてしまうのだ。
ここのお芝居もほんといい〜と思ったんだけど、「誰でもいい」ではっと顔をあげて憎しみや敵意が増幅していくんだよな…トーマスの言葉一つ一つに染まっていく。ジンジャーのためにできること、誰でもいい、プロテスタント全体が敵、ジンジャーはカトリックだったという理由で殺されたのだからこちらがプロテスタントだからという理由で罪のない少年を殺して何が悪い。洗脳の域だ。
ダニエルって二幕でわざわざ前髪を下ろしてインナーを白から黒に変えてるんですよね。TBGの衣装における黒や布の量って結構意味があると思ってるんだけど、トーマスの衣装も最初はツートンだったのが黒一色になっていったり。どうしても髪型もインナーの色も私はトーマス・マロイを思い出してしまって。一度罪を負った人間として、トーマスに一度ついていった人間としてそういった名残があるのかなと思った。
私の中で最終たどり着いたダニエルのキーワードは「愛」「暴力」「罪」だった。前者二点に関してはTBGそのものの大きなテーマだから関わっていて当然なのだけれど。
例えば、ダニエルがあの夜ジンジャーに見送ってもらわなければ。瓶を渡さなければ。酷く自分を責めただろうと思う。
そしてもう一点、前述した「ダニエルはいつまでトーマスと行動を共にしていたか」だが、こうしてみればやはりジョンとメアリーの結婚に近い時期まではいたのではないかと思う。
この辺の解釈は前と近いのだけれど、暴力に拒絶感があった少年は結局染まり切ることができずにトーマスがIRAに入る時に自分は入らない道を選んだのかもしれない。
そして眼鏡をなくしたトーマスはダニエルを頼れず、ジョンを頼ったのだとしたら、そしてダニエルがそれに気づいたのだとしたら。
ジョンが連行された時のあのダニエルは、自分がトーマスから離れたせいでジョンが巻き込まれたと思ったのではないだろうか。
ダニエルはジンジャーも、ジョンも、トーマスも、大切な友達が変わってしまったことを全て自分の罪にしてしまうのではないだろうか。
私はダニエルのモンペでもあるのでジンジャーが殺されたのはどっかのチンピラがクソだと思うしジョンが逮捕されたのは初夜ほっぽり出したせいだと思うしトーマスがああなってしまったのは幼い頃からの呪いがきっとあるのだと思うけれど、間接的な原因に自分がなりうると思ってしまっても仕方はない。彼らの悲劇のそばにはダニエルがいたのだ。
ジョンが逮捕されたのを見送り、メアリーの家に来るシーンでもダニエルはどこか様子がおかしい。俯いて早足で入ってきたのを神父様に誤魔化すように笑って懺悔の時間を求める。はじめは嘘をついているかと思ったのだが、これらを踏まえるときっとダニエルはこの場面でメアリーに自分の罪を告白するつもりだったのではないだろうか。
隠しきれない罪悪感と償いの気持ちからメアリーに援助を申し出る。そしてその話を切り出すのに少し時間を要する。メアリーと目を合わせない。
ダニエルは言えなかった。全て自分が引き起こしたことなのだと、言ったところで何になるのかと気づいたのかもしれないし、これ以上メアリーに負担をかけるべきではないと判断したのかもしれない。ただ勇気が出なかったのかもしれない。
これだけ罪の意識に押しつぶされそうになっている友達にあえて濡れ衣を着せるトーマスマロイほんとさ〜……。
もちろん全ての悲劇はダニエルのせいじゃない。ダニエルが責任を負わなければいけないことでもない。友人たちは「お前のせいじゃない」と言える。
しかしトーマスは、「お前のせいだ」と言える材料を持っているし、必要であればダニエルが暴力から逃げ出したこと、そのせいでジョンが逮捕されたのだとメアリーの前で言うこともできたがそうはしなかった。
「反逆罪」という言葉を出された時ダニエルは拳を握りしめる。心当たりがあるのだ。IRAには入らなかったけれど、その寸前までIRAに入った男と行動を共にしていたことはきっと真実なのだ。身に覚えのない罪を捲し立てられても、ダニエルはすでに罪を抱え過ぎている。自分は何もやっていないとすぐに否定できない。
トーマスはダニエルが罪に苛まれていることを知った上で償わせない手段をとったのだろうかと思う。「脚を折られたら動きたくても動けなくなる」のだ。
初めからダニエル・ギレンは罪人だった。盗人でヤクの売人だった。しかしそれを笑って許容していた友人が、法を犯していることに強く言及しなかった友人がIRAの法でダニエルを裁いた。自分が裁かれないために。
ダニエルはきっと動かない脚を全て自分の罪の結果としてしまう。ジンジャーにあの通りをあの時間に一人で歩かせ、トーマスを暴力に染め、ジョンを転落させてしまった罪だ。
ダニエルはエンディングに現れないし、カテコではトーマスと二人だけ18歳の衣装を着ている。ダニエルには何も残っていない。ダニエルはあのあとまた立ち上がることはできなくなってしまったのではないだろうか。
やだ〜〜かなしい かなしいので可愛い話をしましょう 今回トーマスがメガネとかストールとかよく吹っ飛ばしてますがダニエル役の新里さんは初舞台で袖に投げ捨てなければいけない金属バットを客席にぶん投げました あと数年前に豆まきで肩を壊しました
2/25追記
スタライで新里さんが新里ダニエル切り替え鬼早いからカテコ車椅子で出たかったとか仰ってて手叩いて笑っちゃった 深読みキショオタでごめんなさい
ダニエル・ギレンとトーマス・マロイと愛
さて、この二人にはいくつか不明点がある。前述した通りだが
・なぜ葬式に遅れて現れたか
・なぜ結婚式に来なかったか
・なぜエンディングにダニエルはいないか
・なぜカテコで二人だけ18歳の衣装を着ているのか
についてだ。
これらについて、私は全て「これは愛の物語だからだ」と答えられると感じた。
舞台の煽り文句がここまでマッチしている舞台も滅多にないのではないかと思う。憎しみの連鎖を止められるのは愛だけなのだ。
「本当の愛か辛い孤独」「お前たちは友人ではなく憎しみを愛そうとしている」という言葉も出てくるが、トーマスとダニエルは愛を選ばなかった。
トーマスは元より暴力は慣れていたし選ぶことはできなかった。そしてダニエルは選ぶ余地がなかった。
男女の対が出てくる場面が度々あるが、トーマスとダニエルの相手は固定されていない。トーマスはオープニング以外は特に固定はないなんなら一人や男性も対になっていることが多い。ダニエルはいい感じの女の子が移り変わっている。モテるよなあいつ〜好き…
ダニエルの愛は楽しいこと、サッカー、そして友人だ。それが全て壊れてしまって、家族もいないダニエルはなにも愛することができるものが残っていないのかもしれない。
男女の仲だけが生き残るための愛なのかと言われればわたしははっきりした答えは返せないのだけれど、この二人は一度愛ではなく暴力を選んでしまった二人なのだ。
パンフで皇希さんが「ジンジャーが一番してほしくないことをするのがトーマス」と仰っていたが、自由に愛し合うことを求めた彼の葬式に、自由に愛し合うことを選べなかった二人は参列することができない。そう歌ってはいけないからだ。
結婚式もジョンとトーマス双方で初夜であることを認知している描写があるので彼らの元に招待状が届いたりはしていただろうけれど、逃亡中の身のため行かないことを選んだと思っているがそれはそれとしてメタ的には結婚式も愛を誓う場だから二人は出席できなかったのではないだろうか。
エンディングについては物議を醸しがちな印象を受けているし、私も途中まで解釈に苦しんでいたのだが、神父様や20歳のバーナデットがいることからベルファストで愛を選んだ人々なのではないだろうかと捉えた。
愛を選べなかった二人はエンディングにはいない。カテコでもこれからが見えない二人は18歳のまま。彼らが一番幸福だった瞬間だ。
なんでよ…二人だって友達を愛していたから…愛していたからああなってしまったんじゃん……
エンドが「憎しみではなく愛を引き継ぐこと」なので、それができなかったトーマスとダニエルはこうした結末なんだろうと思う。
しんどい しんどいしんどい かなしい 可愛い話しますね 新里さんはうさぎを飼っています セミが天敵です ダニエルはネコチャンみたいですが本人は猫と仲良くないです めっちゃ歌上手いのでyoutubeよかったら見てください 東さんについては新参者ですがプリン食べてるスタライめっちゃ可愛かったです カレンダー買いました
全く締まっていないですが開演前に完成させたかったので書きたいことだけ書いてとりあえずアップします 修正もする予定です ていうか垢返してくんないかな!?!?
追記(2/20更新)
メタ的に考えるダニエル・ギレンのこれまで
ここまでダニエル・ギレンについて考えてきて、そこまで深堀はできてないないが生い立ちについては
・家庭環境が良くないor天涯孤独(プロテスタントに殺された?)
・車上荒らしとヤクの売人で生計を立てている
あたりの結論が出た。いやマジで勝手な妄想ですよ公式じゃないですよ明言一つもされてないですよ
個人的にはもしかしたら学校にもいってないんじゃないかと思う。当時の教育環境については明るくないが、ジョンとトーマス/ジンジャーとバーナデットが同じ学校であることは明言されているが、そもそもあのサッカーチームはおそらく部活とかではないので全員が就学している必要はない。
ジンジャーのお葬式やジョンとメアリーの結婚式もオドネル神父が取り仕切っているので、オドネル神父の教会に通う子を中心に集められたチームなんじゃないかと思っている。いやそれはそれでデル何で?なんだけど…この結論じゃなくてもデルは何で?なので…
ここで一つ考えたいのが、キャストが新里宏太さんであることについて。
新里さんは身長は公式情報では173cm(ご本人は縮んでるとか仰ってるので本当のところは謎)、成人男性の平均くらい。かなり華奢な体型。脹脛が成人男性の片手で指一周できちゃうくらい(YouTubeの筋トレ動画参照)。ご本人曰く食べても太れない体質。とても羨ましい
そして公演期間中よく見かけた感想が、「新里さん小柄だと思ってたけど周り(小瀧さん184cm/東さん190cm/皇希さん180cm/木暮さん185cm)がデカすぎただけで173あるんだ…」。
いやそれほんまにそれな?東さんの隣とかいたらキッズサイズだし…巨人の檻みんな好きだし…(オフショめちゃくちゃありがとうございます)
平均身長ある新里さんが、体格も相まってあのメンツではかなりの小柄に見えるのだ。かわいくて舞台写真の肩組んでるやつとかℬ𝑜𝓎𝓈 𝒾𝓃 𝓉𝒽𝑒 𝓅𝒽𝑜𝓉𝑜𝑔𝓇𝒶𝓅𝒽とか大好きなんですが。
もう一つダニエルの特徴として、よく人に持ち上げられていることが挙げられる。ジョージベスト!でロイに抱えられ、ヘディングでトーマスにライオンキングされ、優勝してトーマスに片手でぶん回される。多分椅子に拘束される時もちょっと浮いてる。
とても身軽なのだ。誰に飛びついても簡単に抱えられてしまうくらい。そしてあの面々と新里さんの体型はそれを可能にするのだ。
新里さんはメインキャスト男性陣の中で比較的小柄であり、そしてそこまで含めてキャスティングされていたとしたら、と考えてしまう。
つまり、周りよりも身体が小さい。細い。発育が悪いこどもに見えるのだ。(悪口じゃないです)
そして衣装について先も少し触れたが、ダニエル・ギレンといえばあのモッズコートだ。多分M-65。新里さんの体型にすれば少し大きく見える。ダニエルの衣装はぴったりのサイズではないものが多い。調達ができないのかもしれない。オーバーサイズを着てるとさらに小柄に見えるし…。
ダニエル・ギレンはかわいい。それは疑いようもない。天使かなと思うくらい可愛い。天使だってばジョンケリー。でもその「かわいい」「愛らしい」仕草や声色・キャラクターが、友達に簡単に飛びついて抱え上げられる信頼が、過去に慈しんでくれる存在がなかった/奪われた彼の「愛されたい」という願望の現れだとしたら すごく悲しいな…。
これは余談だが、例のダニエルの家もあれが本当の家であるか定かではないとフォロワーに言われた時は流石に「何でそんな酷いこと言えるんですか!?!?」と泣きギレした。デジャヴ。同じ夜同じフォロワーに言われた。何でそんな酷いこと言えるんですか。
でもこれらの説があってたとすると一軒家に一人で普通に暮らしてるのは確かに…考えにくくて…メンバーにはダミーの家を教えてたのかもって………余談!!(悲しいので打ち切り)
あとTBGは各人イメージカラーがわかりやすいんだけれど、ダニエルがカトリックのカラーであるグリーンであるのは「紛争に巻き込まれたカトリック教徒」の記号としても扱えるのではないかという意見も聞いてなるほどだった。ついでにその人にジョンとメアリーはユニオンジャックの色だよねと言われて何でそんな酷いことが言えるんですかと返した。何でそんな酷いことが言えるんですか!!!!!揃いも揃って!!!!!!
もう少しライトな話をするとダニエルってサッカー上手いですよね?素人目ですが…スイーパーだし…なんかしれっとすごいリフティングしてるし…というあたりはサッカー経験者で今もサッカー大好き新里さんの解像度が活きまくってたんじゃないかと思います。いや本当に素人目なんですが…。
トーマスが言い逃れしてる後ろで審判にイヤイヤ今の違うっしょ〜ってやったり立たせようとしてる感じとか、PKの時見ないのとか、詳しくないけどあるあるなのかな〜って思って見てました。
ダニエル・ギレンの最後の言葉について
何気に一番謎が多い人物はダニエル・ギレンだと思っているのだけれど、彼の最後の言葉って考えれば考えるほど意味深で怖くないですか。
膝を撃ち抜くと宣告され庭に引きずられながら「俺は帰る、帰らせてくれ」と。助けて、とか、俺じゃない、とかじゃないのだ。
明らかに錯乱している。「何か」が蘇っているのだ。ダニエルの視界にその瞬間映っているのは、きっとメアリーの家ではない。しかしその向こうにはトーマス・マロイがいる。
IRA、あるいはカトリック過激派からダニエルが報復を受けるのは初めてではないのではないだろうか。そして「その時」も彼の視界には少し遠くに立つトーマス・マロイがいたのではないだろうか。ダニエルは何事もなくトーマスから離脱できていたのだろうか。きっと否だ。
ダニエルは過去に一度帰りたいと泣き叫び、トーマスはそれを見ていた。あれを聞くのは二回目だったかもしれない。
じゃあジョンが連行された時のあの動揺はその時のトラウマが蘇ってるのかも、という可能性も考えられる。あとそんな状況だったら呑気に結婚式なんて行けなかったよなあということも想像できる。
尚、トーマス・マロイがダニエルの命を奪えず、処刑を自分の手で行うどころか直視すらできなかったことは、自身がのちにジョン・ケリーの手で終わらせてもらえないという結果として返ってくると思っている。あいつら結局誰一人として友達殺せないんだ…。
ダニエルの帰りたい場所はどこだったのだろう。彼の家か、ジョンたちのもとか、グリーンを背負って戦ったあの運動場か。そこに行く脚も奪われてしまったのだけれど。
何だか辛い話ばかりしてしまいましたが、これだけの考えを膨らませるだけのお芝居を見せてくださった新里宏太さんに私は本当に感謝しかないです。
彼のお芝居もダンスも大好きではありますが新里さんといえば歌、のイメージがあったので今回はこう、最初は正直驚いたのですが、お芝居と声が良いという感想をたくさん拝見して勝手ながらとても嬉しくなったりもしていました。私も新里さんのお芝居と舞台がさらに好きになりました。
いやま〜〜あの 10割的外れだとは思うのですが、これだけ色々見ていない時間にも考えたり話し合ったりできる舞台って本当に素敵だなと思います。最高の1ヶ月でした。2023年イチ出ちゃったんじゃないかと思うくらい。
またいつか彼らの生きるベルファストが見たい…でも今、あの演目だったからこそあのベルファストがあるのだと思うと切ないけれど、今後も彼らの生き様を大切に抱きしめて生きていきたいと思います。クソデカ感情
心の中にいる全ての愛をベルファストに。新里さんとダニエルギレンに。あとトーマスマロイと東さんに…あと…TBGのすべてに……。全部愛してるよ………………。相変わらず締まりが最悪です
さあ恒例の中の人の話しましょうか 新里さんはカーネルサンダースと誕生日が一緒なので誕生日はいつもケーキではなくKFCの記念バーレルだったそうです。結構酒豪です。彼の歌唱力欲しさにオーデ組まれたり脚本捻じ曲げて配役増やされたりする級のうたうまお化けなので、次に日生で見られるときはバチバチに歌唱力でも殴られたいなと思います。トークも上手でかなりオモロ人間なのでよければ彼のYouTube LIVEやLINELIVEやFC配信アーカイブ、見てみてください。FCアーカイブでかなり好きな回があるのでもし入ってくださった方いらしたらご一報ください。これ見ろします。
ノリ良くてオモロかわいかっこい優しいあんちゃんなので、2/26のトークポート、皆さんぜひご参加ください!2分2500円!記念にどうですか!聞きたいこと聞いてみませんか!感想、ご本人にお伝えしてみませんか!!私は取るだけ取ってまだ何話すか微塵も決めてません!!!!!